大阪・道頓堀に大きく掲げられているグリコのマークはランドマークとして多くの方に、長年愛され日本人なら誰でも知っているような有名なデザインです。
しかしながら、グリコのマークにフィリピン人モデルが起用されていた事実はご存知ですか?
今回の記事では、グリコのマークに起用されたフィリピン人モデルに関して詳しくご紹介します!
- グリコの歴史に興味がある方
- グリコのマークをより知りたい方
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フィリピン人モデルも起用されたグリコのゴールインマーク

日本人なら誰でも知っているキャラメル菓子メーカー「グリコ」は、カフェオーレ、プリッツなど多くのロングセラー商品を製造しています。
このグリコのトレードマークは、1922年の創業時から使用されており、ロゴは創業者の江崎利一氏が考案したデザインで「ゴールインマーク」と呼ばれています。
大阪・道頓堀には、大きなグリコのゴールインマークがあり、ランドマークとして愛されている場所です。
過去にグリコのゴールインマークではフィリピン人のモデルが起用されていました。
グリコのゴールデンマークのデザイン

彼が、故郷・佐賀県の八坂神社で境内で遊んでいる近所の子供達を見て思いついたデザインで、かけっこをしている子供が大きく両手を上げてゴールしている姿がグリコのマークに採用されました。
グリコ1粒の栄養価は「約2、300メートルを走るカロリー」だったので、「1粒300メートル」というキャッチコピーも誕生しました。
ちなみにグリコは当時の競合である、森永のミルクキャラメルに使用されているエンゼルマークに対抗する商標を作りこともあり、トレードマークのデザインにも注力していたそうです。
グリコのマークのモデルはフィリピン人だった

初代のグリコのマークには特定のモデルはおらず、消費者から「顔が怖い」とクレームが入り、デザイン変更を4年間掛けて行い、2代目マークは、当時活躍していた陸上選手がモデルとなりました。
グリコのマークのモデルは現在までに7代まで存在しますが、2代目のモデルは、なんとフィリピン人のフォルトゥナート・カタロン氏が描かれています。
グリコのモデルとなったフォルトゥナート・カタロンとは

フォルトゥナート・カタロンは1897年10月14日にフィリピンのレイテ島トロサで生まれ、農家の家庭で育った、フィリピン人の短距離の陸上選手です。
彼が19歳の時に東京で開催された「極東選手権大会」の100ヤードと220ヤードで優勝し、1923年には100ヤードで世界6位にランクされるなど世界的に評価される短距離選手でした。
1923年に大阪で極東選手権競技大会が開催された際にフォルチュナト・カタロン氏がゴールした際に、腕を高く上げ胸を押し出しゴールインした姿が特徴的で、グリコのマークのモデルとして採用されました。
他にも当時活躍していた陸上選手、谷三三五氏や金栗四三氏のゴールイン時の表情を研究してマークのデザインに取り入れています。
2代目マークは現在のものより、やや短足気味でしたが、時代の変遷に合わせてデザインも洗練され、足や胴のバランスも微妙に調整されて、代を重ねるごとにスタイルが良くなっています。
グリコのマークはフィリピン人のモデル まとめ

グリコのマークは日本人で知らない人がいないくらい知名度がありますが、まさかフィリピン人がモデルで起用されているとは思いませんでした。
現在の7代目のグリコのマークは、時代に合わせてスタイルが良くなり、より老若男女に受けがよいビジュアルになりました。
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